エッセイ


(第225回)
「存在のない子供たち」-子供たちの基本的人権-
  長崎国際大学 アミロイドーシス病態解析学分野 安東 由喜雄

レバノンの貧民街で暮らす子供たちの現実の姿を描く

基本的人権とは、いうまでもなく人間が人間らしく生きていくために必要な基本的な自由と権利をいう。人間の尊厳、法の下の平等、生命の安全、自由の保障、・・・現在の日本においては特殊な事例を除いて、ほぼ子供から老人に至るまで保障されているといっていい。それは平和ボケした多くの日本国民が、人間なら水や空気のように当たり前に享受できるものだと信じているものだが、もしかしたら世界を見渡すと、むしろそうした世界に暮らしている人々より、基本的人権を享受できない環境で暮らしている人々のほうが圧倒的に多いのかもしれない。そんな思いを強く抱くのが映画「存在のない子供たち」(ナディーン・ラバキー監督)である。
レバノンのある町の貧民街で両親、兄弟と暮らしていたゼインは、一家の生活苦のために、路上でとても清潔とはいえそうもない自家製のジュースを売ったり、壊れそうなぼろアパートのオーナー、アザートが営む雑貨店を手伝ったりしながら、一家の重要な労働力となって働いていた。学校など行けるはずもない。彼は12歳らしい。「らしい」というのは両親が出生届を出していないし、子だくさんの中で正確な生年月日なんか覚えていないし、覚える必要もない環境に暮らしている。何人もいる兄弟のなかで一歳年下の妹サハルだけがゼインの心の拠り所で、いつも一緒に行動していた。
ところが両親は、強引にも幼いサハルをアザートと結婚させるというではないか。まだ11歳の少女であり、誰よりも大切な妹だ。そんなことをさせてなるものかとゼインは彼女を連れて逃げようとするが、間一髪、父親は嫌がるサハルを強引にバイクに乗せて連れ去ってしまう。絶望の淵に立たされたゼインは、こんな理不尽な両親とはもうこれ以上暮らせないと考え、家を捨てる覚悟をする。
彼はわずかばかりのあり金をはたいてバスに乗り、ベイルートの繁華街にたどり着く。生活苦の人々が一縷の望みもって集まってきた町の中で、誰一人浮浪児のゼインのことなど相手にはしてくれないが、そこでめぐり合ったレストランで働くラヒル(エチオピアからの密入国者)にめぐり合う。執拗に付きまとうゼインに根負けしたラヒルは、とりあえず彼を彼女の家にれて帰ることにする
。そこには生まれたばかりの赤ん坊ヨナスがいた。子供を抱えながら何とかやりくりしていたラヒルは、ゼインにヨナスの子守をしてくれるのなら家においてやるという条件をもち出す。
実はラヒルは、偽造滞在許可証の有効期限が迫っていた。滞在を延ばすためには偽造業者のアスプロに頼むしか手立てはないが、高い手間賃を吹っかけられて困り果てる。「その子を渡せばただにしてやる」といわれるものの、そんなことができるはずもない。結局自分の髪を売ってなんとかお金を工面し、偽造許可書を受け取る算段ができたが、不幸にも不法就労の疑いで警察当局に拘束されてしまう。
何日待っても帰ってこないラヒル。ヨナスを抱えて途方に暮れるゼインであったが、しびれを切らせて仕方なく行動を起こすことにする。ヨナスのミルクを買うことが先決だ。自分一人の食事を調達するのもままならないなかで、何度も嘘をつきながら小金を集め、ヨナスのミルクと自分の食事を工面し、何とか二人で生き延びようとする。しかし状況は日に日に悪くなる一方だ。ついに万策尽きたところ、シリア人難民の女の子にめぐり合い、彼女の勧めでスウェーデンに亡命することを決意する。仕方なくアスプロに赤ん坊を売り渡し、その金でヨーロッパに出国しようと決意する。ところが・・・彼には身分証明証がないため、出国証明証が発行できないことに愕然とする。
生年月日も知らないゼインは、必要な書類、情報を得ようといったん家に帰ることにする。しかし、そこでゼインは腹に据えかねるような事実を突きつけられることになる。両親は、ゼインの出生時、届け出を出しておらず、出生日もわからないし証明証も何もないと薄笑いを浮かべながら答えるではないか。さらに衝撃的な事実を知ることになる。大好きな妹サハルが妊娠中に大出血を起こし帰らぬ人になったというのである。平然とそう話す両親の姿に激怒したゼインは、ナイフをもってアザードの家に行き、彼の腹部を思いっきり刺す。幸いアザードは一命を取り留めるが、結局ゼインは取り押さえられ、禁固5年の刑を言い渡され収監されることになる。

子供は、生まれてくる時代も、場所も、兄弟も選べな

少年鑑別所で悶々とした日々を送っていたゼインは、そこで流れていた犯罪や社会問題を取り上げるテレビ番組「自由の風」を偶然目にする。その番組はライブで視聴者たちの電話を受けつけていた。そこでゼインは果敢に行動を起こす。鑑別所から番組に電話をかけたのだ。「大人たちに聞いてほしい!世話をできない子供を産み、子供たちが苦しんでいる」。この電話は大反響を呼び、弁護士の支援も受けることになり、ゼインは両親を訴えることになり、法廷が開かれる日がやってくる。裁判長から、「罪状は何ですか」と問われたゼインは、円らな瞳を見開き、堂々とこう答える。「僕を産んだ罪で、両親を訴えたい」。
 確かに両親の主張もわかる。昔、「貧乏人の子だくさん」という言葉があったが、子供を作れば作るほど生活が苦しくなるのはわかっていながら、趣味も娯楽もない低所得者は子供を作る。中東やアフリカにあっては、そうした子供たちが労働力となって一家を支えている。裁判の合間、母がゼインにこう言葉をかけるシーンがある。「ねえ、ゼイン。また赤ちゃんを授かったんだよ。女の子が生まれたらサハルという名前にするよ」。ゼインの心は凍てつくばかりであった。
ゼインの行動は窮地に陥っていたラヒルを救うことにもなる。アスプロらの偽造滞在許可証請負人が、人身売買をしていることも公になり、ラヒルの赤ちゃんは運よく彼女のもとに返されることになる。映画の最後では、それまで決して笑うことがなかったゼインが、自分の身分証が作られた瞬間、初めて少し笑う。この映画で最も象徴的な場面である。
この映画は、レバノン人の女流映画監督、ナディーン・ラバキーが3年をかけて作り上げた。彼女はレバノンが内戦の真っただ中だった1974年、ベイルートで生まれ育ったため、この地域の事情に誰よりも詳しい。現在のレバノンをはじめとする中東の置かれた真実を伝えるため、映画の登場人物には2,3人のプロの俳優を除き、ほとんどが路上で実生活を営んでいる素人のレバノン人を抜擢している。だから彼らは自分の境遇そのものを映画のなかで演じており、その言葉、しぐさには説得力がある。時として映画であることを忘れ、まるでドキュメンタリーをみているような気分になる。
子供は、生まれてくる時代も、場所も、親兄弟も選べない。だから法律が整備されていない発展途上国においては、不当な生活環境の改善や、基本的人権を主張する手段も持ちえない。ゼインの場合は、いくつかの偶然と幸運が重なり、基本的人権を獲得するスタートラインに立つことができた。ゼインを演じた「俳優」は、実際の名前もゼイン・アル=ラフィーアであるが、困難のなかでもいつもギラギラした瞳をしていて、どこか悲しい表情が漂い、みるものに彼の心模様が突き刺さってくる。
ベトナム戦争が行われていた頃、ベトナムで「坊や大きくならないで」という唄が流行り日本のフォークシンガーが日本にも広めた。かわいい我が子が大きくなると戦争に取られて命を失ってしまう。だからお願い、坊や大きくならないで、と唄った母の心に胸が締め付けられる思いがした。中東では差し当たってシリアなどがそうした状況なのかもしれないが、レバノンでは、子供が半ば奴隷のように働かされている。たくさん子供を作ってしまうと食えなくなる。だから子供を小さい頃から働かさざるを得なくなる。これがレバノンの現実の姿だとラバキー監督は訴えている。
 21世紀の世界はますます混迷を深めているかに思える。これを救うのは世界の指導者の協調しかないが、それを選ぶのはほかならぬわれわれである。



(第224回)
「ワイルドライフ」―新春期のこころー
  長崎国際大学 アミロイドーシス病態解析学分野 教授 安東 由喜雄

ラットを使った実験では「思春期」を使わない理由

ずっと大学で臨床医をしながら研究生活するという、いわば二刀流の生活を送ってきたなかで、ラット、マウスを使った実験はずいぶん行ってきた。一番気をつけたのはホルモン分泌の影響を避けるため、特殊な場合を除いてオスを用いること、ラットの実験の場合は通常生後7週ほどで「成人」になるので、それ以降の週数のラットを用いることだった。生後5〜6週のいわば「思春期」のラットを用いるとホルモンの分泌や体内の代謝が不安定で、個体差が大きくデータがばらつくことが知られている。この時期のラットはちょうど人間の中学・高校に相当すると思われるが、体も急激に大きくなり、代謝やホルモンの分泌が大きく変わる。人間はこの時期は心が不安定な時期となる。環境に左右されやすく非行に走るのもこの時期だ。こうした時期に両親の不和や離婚など予期せぬ「事件」が加わると、心に大きな痛手を負い、その後の人生にさまざまなな影を落とすことはいうまでもない。
北部アメリカ、モンタナ州の田舎町、1960年初秋の話だ。アメリカが夢と希望に輝いていた時期といっていい。映画「ワイルドライフ」(ポール・ダノ監督)には、冒頭、その頃、ハリウッド映画によく登場した典型的な古きよきアメリカの家庭が登場する。父ジュリーは仕事の都合でこの静かなたたずまいの田舎町に家族を連れて越してきた。一人息子のジョーは母ジャネットとともに、この新しい環境に溶け込もうと頑張っていた。彼は両親が好きだった。
ある日、ジェリーは働きはじめたゴルフ場の支配人から突然解雇を言い渡される。どうも彼のゴルフレッスンが顧客から不評だったようだ。帰宅後、酒を飲みながら心が荒れる父の姿をみてジョーは不安になるが平静を装っていた
ジャネットはかつて代用教員をしたことがあるが、今は専業主婦としてジェリーを支えていた。夫の突然の失職を前にして、新しく暮らしはじめたこの町で頼れる友達も伝手もなく、将来が不安になる。彼女は「私の名前、レストランのウエートレスみたいでいや」というが、どこか短絡的なところがある女性の言葉としてこの映画の一つの伏線となっている。
ジェリーは固くなでプライドの高い男だ。ゴルフ場のオーナーは翌日、今回の顛末は実はわがままな顧客の気まぐれであったことがわかり、解雇取り消しの電話をかけてくるが、ジェリーはプライドが許さず断ってしまう。ジャネットは「もう一度ゴルフ場に戻ったら」といっても耳を貸さない夫をしり目に、家計のことを考えて水泳のインストラクターの仕事をはじめる。ジョーも少しでも両親を助けようと、放課後、街の写真館でアシスタントの仕事をはじめる。
こんな小さな田舎町では新しい働き口など簡単にみつかるはずもない。ジェリーは結局独特の正義感も手伝って、ジャネットの反対を押し切り、どんどん大きくなる近くの山火事の消防隊員に志願する。アメリカ大陸で起こる山火事は半端ない。広大な火事の現場で消火に当たる仕事は危険なうえ、賃金も安く、何ヶ月も家へは帰れない。仕事のない低所得者くらいしか志願しないなかで、ジェリーは「男らしく」振舞おうと、「雪のちらつく頃には戻ってくる」と言い残して山に向かう。この衝動的な行動が結局この家族のターニングポイントとなる。突然母子家庭のようになり、ジャネットもジョーも寂しさと不安を紛らわすようにそれぞれインストラクターとアルバイトに励むがそこには暗雲が漂いはじめる。
案の定、ジャネットが情緒不安定になりはじめる。ある日ジョーが学校から帰ってみると、ミラーという初老の太った男が居間で馴れ馴れしそうにジャネットと話をしている。彼はこの街で会社経営をしている独身の金持ちであったが水泳教室でジャネットの指導を受けて親しくなっていた。それまで地味な服装をしていたジャネットが急に身だしなみを気にしはじめ派手になっていく。彼女は若い頃の洋服を取り出し、化粧も濃くなっていく。ジョーはこの状況に危機感をもつようになっていく。

子供不在の夫婦の不和に揺れ動く子供の心を描く

ある日の夕方、学校から帰るとジャネットが、背中が大きく開いたドレスを身に纏っている。今晩ミラー宅のディナーにジョーも一緒に招かれているというではないか。彼はもちろん気は進まないが、渋々一緒に行くことにする。食事が進み、どんどんワインを飲むジャネット。かなり酔っ払った彼女は、陽気にチャチャチャを踊ってみせたりする。今までにみたことのない母の姿にジョーの気持ちは居たたまれなくなっていく。帰り際、母が隠れてミラーとディープキスをしている様子を見てしまったジョーは、強引に母を連れ戻すが、その夜の光景は彼にとって大きな心の傷になったに違いない。
そしてある夜中、ジョーが物音とともに目を目を覚ますと、母の寝室でミラーの姿を目撃してしまう。後で調べると、寝室には脱ぎ捨てた母の下着や空のコンドームの袋まであるではないか。ジョーの心は混乱し荒んでいくが、淡々と学校だけは通い続ける姿がいたたましい。
時は流れ、雪が降りはじめた頃、約束通りジェリーが「山火事がやっと鎮火した」といって戻って来る。ジャネットは、数か月振りに帰った夫にハグもキスもせず、「申し訳ないけどアパートを街に借りたからこの家を出て行くわ」と宣言する。やっと愛する妻のもとに安らぎを求めて帰ってきたジェリーは、何が起こったのか理解できず驚くが、そこは男の第六感が働く。「それは男ができたということか」。ジャネットは最初は躊躇したものの、あっさりミラーと関係をもってしまったことを打ち明ける。怒り狂ったジェリーは家を飛び出しミラーの家に向かい、途中で買ったガソリンを蒔き玄関に火を放つ。この家庭はついに崩壊してしまうのか。
狭い小さな町である。情事が表沙汰になると噂の餌食になり、ジェリーのみならずミラーまでとばっちりを受け、社会的に困ったことになってしまう。幸いボヤのうちに消火され、大事には至らなかったこの事件は、ミラー側の申し出により示談となり起訴されなかった。
その後この家族はどうなってしまったのか。2,3年の月日が流れ、幸いジェリーは職に就きジョーは父と二人で生活している。ジャネットはオレゴン州に移り、教師として働きはじめているらしい。ある週末、二人のもとにジャネットが久しぶりに帰ってくる。何があってもジョーにとっては父と母である。家族三人で食事をするが、ジョーはそのあと両親をある場所へ連れて行く。それは今でもアルバイトをしている写真館であった。ジョーは両親を自分を挟んで両隣に座らせる。彼は自身がシャッターを切り、家族の写真を自分の手で収めるのだった。3人の顔には笑顔はない。当然のようにそれぞれわだかまりがあり、会話にぎこちなさがあるものの、三人とも一瞬何もなかったかのような顔でカメラに収まる。実に切ない場面である。
子供不在の夫婦の不和を描いた何ともやりきれない映画である。融通の利かないわがままな父、不安に耐え切れず女としての本性をさらけ出してしまっただらしのない母。父母との関係、そして夫婦の関係はもうもとに戻ることはない、とわかっていてもジョーの心の中には楽しかった家族の想い出がある。彼は変わってしまった家族の形態に戸惑いながらも、なんとか大人へと成長して行くことであろう。観ているものはこんな状況のなかでもジョーのまっすぐ正面を見据えた記念写真の視線に辛うじて彼の将来への可能性を感じながら終わりを迎える。
思春期といえば、どうしてあんなことをしたのかとか、どうしてあんなことを考えていたのかと赤面するような未熟な自分が思い出され、恥ずかしくなることがある。両親との関係においても、ジェネレーションギャップを絶えず感じながら、衝突することも少なくなく、敬遠していた自分を思い出す。ジョーの場合は心が揺れながらも、惨憺たる両親の状況のなかでも冷静さを保ち生き抜いていて、その姿には心打たれる。きっとこうなる前は、両親にしっかり愛されており、その時々の想い出が支えになっていたのかもしれない。





(第223回)
「隣の女」-人は愛と共に死ねるか?-
長崎国際大学 アミロイドーシス病態解析学分野教授 安東 由喜雄

ヌーヴェルヴァーグの旗手・トリュフォー監督の「傑作」

昨年はマスコミの芸能ニュースが、「ザ・不倫イヤー」といっていいくらい何組もの芸能人の不倫を取り上げ盛り上がった。記者会見で墓穴を掘る説明をしてさらに評価を下げた人もいるが、さすがと思わせる会見もあった。特に落語家は「けむに巻く」という特技をもっている。不倫騒動で窮地に追い込まれたなかで、「不倫と掛けて」と問われた記者団の質問に、とっさに「東京湾を出たばかりの豪華客船と説きます」-「その答えは?」-「まさに航海(後悔)の真っただ中」-思わず座布団三枚!とでもいいたくなるような三遊亭円楽の落語家としての評価を上げた記者会見はさすがだった。
ヒトがヒトを愛する。ヒトの歴史はそれがきっかけとなり、男女が交わり、遺伝子を組み替え別の個体を作るといった仕組みで子孫を残し今日に至る。しかし、いつの頃からか男女の交わりが子孫繁栄と切り離され、愛の象徴、ヒトの欲望の一つとして行使れるようになってきた。動物の世界はステディーはなく、多くが「乱交」であるが、ヒトの社会では一夫一婦制がほとんどの民族で半ば「強制」のような形で取り入れられてきた。だからその制度に反する行為は、特に儒教の影響を受けた東アジア文化圏では倫理に反する不倫という意識が強い。一方英語圏ではこれをadultaryと呼ぶ。不倫はadultのすること、それはそれで仕方のないこと、という思いが少しは込められているのかもしれない。
フランスの田舎町である。石油輸送タンカーの模擬船を開発している会社に勤めているベルナール(ジェラール・ドパルデュー)は、年の頃は40歳くらいであろうか、妻のアルレットと息子のトマと仲睦まじく暮らしていた。映画「隣の女」(フランソワ・トリュフォー監督)の話である。ある日、家の向かいに、その町の空港で管制官をしているフィリップとその妻マチルド(ファニー・アルダン)が引っ越してくる。中年の域に達した夫婦だが、結婚してそれほど経っていないようだ。妻にはどこか影がある。一方で何となくそわそわし始めるベルナール。不穏な空気が漂いはじめる。アルフレットは当然の様にこの夫婦を食事に誘うが、その日、ベルナールは残業で遅れると嘘をついて帰って来ない。何か都合の悪いことがあるようだ。実はベルナールとマチルドはかつて恋人同士であったが、8年前に何らかの理由で別れていたのだった。当然結婚も考えたのであろうが、別れた理由は語られていない。二人とも再会とともに焼けぼっくいに火が付き、お互いを意識し、それぞれの伴侶との生活に集中できなくなっていく。最初はマチルドのほうがモーションをかけてくる。彼女の方からベルナールに電話をかけ、「主人があなたの隣に家を借りたとき、私嬉しかったのよ」という言葉をきっかけに、二人の関係が復活する。ラブホテルの一室を借りてベルナールを誘ったのもマチルドのほうであった。そして何度か逢瀬を繰り返すが、ある日マチルドは突然こう切り出す。「もうこれっきりにしましょう。私、主人と旅に出るの」。「そんな馬鹿な。その気にさせておいて」。激しく抵抗するベルナール。彼のマチルドへの思いが沸騰点に達する。一方マチルドはこの閉塞的な状況を打開するために、ベルナールとの愛に終止符を打って、夫とまだ行っていなかった新婚旅行に出かけようと考える。出発前のパーティーが行われるが、ベルナールはついにマチルダへの感情が抑えられなくなり、公衆の面前で強引にマチルドに迫り、二人の関係はそれぞれの配偶者、友人の知れるところとなってしまう。マチルドは動揺した精神状態で旅に出るが、そうそう簡単に愛の火は消せない。旅先で彼女が寝言でベルナールの名前を呼んでしまったこともあり、夫との間の関係も破綻寸前となる。彼女は精神的に追い込まれ、ついにヒステリー発作を起こし倒れてしまう。病院に運ばれ、昏睡状態が続きしばらく入院生活を余儀なくされるが、ベルナールの方は妻が妊娠し、これまでの不義を反省し以前の状態を取り戻そうと努力しつつあった。しかしマチルドが入院したことによって再び心は揺れる。「今のマチルドを救うことができるのはあなたでしょう」と妻からも言われ、病棟にも駆けつけ、この愛の結末がますますみえなくなっていく。
話はクライマックスを迎える。マチルドは精神科医のカウンセリングを受け、夫の愛にも守られ精神状態は軽快し退院することになる。彼らは引っ越し、危機的状況は回避されたかにみえた。しかし、ある晩、ベルナールは物音で眠りから覚める。もしやと思い外に出てみると、何とコートを着た物憂げなマチルドの姿があるではないか。二人は抑えられない感情とともに再び愛し合うが、激しい抱擁の最中に、マチルドはバッグに隠していた拳銃に手を伸ばし、二発弾丸を発射する。一つ目はベルナールの頭を、二発目は自分の頭を撃ちぬいてともに息絶える。追い詰められた果てにマチルドが選んだ解決策、それは愛とともに死ぬことであったのだ。「あなたと一緒では苦しすぎる。でもあなたなしでは生きられない」。一度は手放そうとした愛を最後は引き寄せ、直視し死を選んだ。町の住人が集うテニスコートを運営している、マダム・ジェーヴはマチルドとベルナールの激しい恋を見守っていたが、映画は彼女が語るこの言葉で終わる。この映画の本質を見事に物語っている珠玉の言葉である。


相関性を感じさせる「認知症」と「恋愛感情」との関係

トリュフォーは、「大人は判ってくれない」、「アメリカの夜」などで新しい映画の手法、ヌーヴェルヴァーグの旗手という名をほしいままにした鬼才である。52歳で脳腫瘍のため死亡するまで独特の世界を描いた恋愛映画を中心に25本の珠玉の作品を世に残した。描いた映画のように、生涯映画関係者、女優と恋に落ち何度か結婚し、そして破局を迎えた。両親の離婚や、そのため非行に走り幾度も感化院に放り込まれるなど、孤独で不遇な少年時代をすごした経験が、映画の作風に影響したに違いない。とりわけこの映画は多分にトリュフォーの私生活が反映されているといわれている。「マチルダが吐いたセリフは全部私があなたとの実生活で言った言葉じゃない!」と、かつてトリュフォーの愛人であったカトリーヌ・ドヌーヴが話したという逸話が残っている。
60歳も過ぎると記憶力、体力、精力など、ことごとく低下してくる。ところが唯一向上するものがある。それはボキャブラリーだ。むろん認知症がないことが大前提となるが、語彙が増えるということは、その増えた語彙によって表現できる世界が広がっていくことになる。それが豊かに老けるということにつながっていけばいいのだが、同時に言葉で説明できる募る想い、妄想の世界も広がっていくことにもなりかねない。これが老いらくの恋に繋がると晩節を汚すことになる。
俳優の奥田瑛二は映画監督としても、俳優としても評価が高いが、色恋沙汰でも名を馳せた。ある対談のなかで、「60歳を過ぎて女性に対する生々しい感情は薄れてきたが、妄想が膨らんでいく」と語っている。人は晩節を汚さないように生々しい感情を加齢とともに捨てていく。その最たるものがアルツハイマー病であるともいえる。
人を愛すると独占欲が高じてくるのは当たり前のことだ。不幸にして独占できないと嫉妬に狂い、感情を抑えられなくなり、遂にベルナールのように実力行使してしまうと、とんでもないやけどを負って人生の破局を迎え、場合によっては命さえ落としかねない、とトリュフォーは自分の経験も踏まえてこの作品のなかで警告を鳴らしたかったのかもしれない。
「秘すれば花」-静かに愛する人を想う。妄想の中で想う。年を取るということはそうした感情を映画を観るように客観的に処理できる落ち着きを獲得することなのかもしれない。不倫は許されることではないが、素敵な異性に心ときめくのが人間であり、そうした感情をまったく失ってしまうと認知症が促進するのかもしれないが、長年連れ添った配偶者にとっては心ときめくことも大罪であるのかも知れない。






(第222回)
 世界でひとつの彼女」-AIとの恋愛-
 長崎国際大学 アミロイドーシス病態解析学分野 教授 安東 由喜雄
 
                
ヒトの知能を超える「AI自身の恋」、人との恋を描いた傑作

AIが世の中を席巻しようとしている。今後あらゆる職種にAIが侵入し、かなりの労働力が取って替わられることはいうまでもない。「安泰な職種」など何一つないかに思われる。医療の分野もかなりの部分がAIによって「浸食」されることは火をみるより明らかである。とりわけ放射線診断、臨床検査医学、血液学、病理学などの診断部門はAIが主役になるだろうといわれているが果たして本当だろうか。では脳神経内科や脳外科の神経診察や精神科の診療は大丈夫かというと、決してそうではないだろう。何故ならAIはどんどん進化していくからだ。
あと20年もするとAIは自己学習を続け、ヒトの知能を超えるといわれているが、果たして「AI自身」が恋をしたり、悩んだり、共感したりし、苦しんでいる人に寄り添い、心のケアまでしてくれるようになるかどうかは大いに議論の分かれるところである。AIとの恋愛を通して、改めて人を愛するとはどういうことかを考えさせてくれる映画に「her/世界でひとつの彼女」(スパイク・ジョーンズ監督)がある。「世界でひとりの」ではなく「ひとつの」となっているところがこの物語の重要な部分である。この映画は特にストーリーが面白く深いこともあって第86回アカデミー賞脚本賞を受賞している。
近未来のロサンゼルスでの話である。セオドア(ホアキン・フェニックス)はハートフルレター社で主に恋文の代筆の仕事をしているが、筆のタッチは実に抒情的で、依頼者の心を掴み、雑誌社から出版の依頼が来るほどの腕前だ。しかし彼は人間的にどこかくすんだところがあり、妻キャサリンとはうまくいっておらず、離婚を突き付けられている。覚悟はできているものの、妻への想いは断ち難く、心の整理はまったくできていない。友人のエイミーは彼のことをあれこれ心配してくれているが、混沌とした心の中から脱出できないでいる。 彼はそんななかで、サマンサという名前のAIの存在を知りコンタクトを取るようになる。
姿かたちはなく、スマホやコンピューターからささやかれる声だけが頼りだ。「彼女」は、驚くほど知的なうえ、女性的で、ナイーブ、そして何よりセクシーであった。セオドアはどんどん「彼女」に惹かれるようになっていき、イヤホンを通して会話をする時間が、もっとも心が安らぎ幸せを感じる時間になっていく。
サマンサは並みの「女」ではない。セオドアの日常の些細な出来事の相談や、とりとめもない会話に付き合い、彼の内面に迫っていく。彼の書く文章を褒め、それによって彼の心もどんどん解き放たれていく。コミュニケーションを取るたびに彼好みの「女性」に進化、成長していく。ついに二人は本当に恋に落ち深夜に声の会話によるいわゆるテレフォン・セックスを通して頂点に達する。肉体関係のない情事だが「二人」は満たされる。
この物語には「三人」の女性が登場する。以前付き合っていた友人のエイミー、別居中の妻キャサリン、そしてAIのサマンサである。エイミーとセオドアは恋人関係になったことはあるが、互いに愛する人をみつけ結婚した後、家族ぐるみの付き合いをしていてキャサリンのこともよく知っている。人間の心はわからない。セオドアがキャサリンと別居した後、エイミーは半ば鬱状態になったセオドアを夫婦で慰めていたが、そのエイミーもちょっとした諍いで離婚してしまう。
セオドアは会社で依頼主の女性に代わって男性へ送る恋文を書き続ける。前述のように相手の心を掴む文章は好評だが、それはとりもなおさずセオドアの恋に対する捉え方がそのものであり、離婚を突きつけられているが未だに未練のあるキャサリンへの願望が色濃く反映されたものになっている。いや、妻に書いて欲しいラブレターそのものなのかもしれない。きっとセオドアが愛を押しつけてきたことがキャサリンにとっては重荷だったに違いない。しかしそのことをセオドアは未だに理解できないでいる。


人間の男女関係における「真相」を描いた見事な脚本

サマンサはさすがに近未来のAIらしく、セオドアの声、態度、話す内容をいち早く理解し、彼好みの「女」になろうと努力し、どんどん進化していく。サマンサの話す言葉は心地よい。セオドアはちょうどキャサリンに求めたように、時として押しつけがましい愛を投げかけ、当然のようにサマンサからも愛を求めていく。「彼女」はAIらしくクリアカットにセオドアの心に入り込んでいく。「どうして奥さんと離婚しないの?」。「彼女」は決断できない男の妻への錯綜した思いや戸惑いが理解できないでいる。「君に愛する人を失う苦しみがわかるか?」。ここがAIとの愛の限界なのかもしれない。しかし「彼女」はこの言葉にショックを受けはするが、AIなりに消化し、必死で対応しようとする。そして彼のことを愛し続けようとする。「これはリアルな恋なの?コンピュータにプログラムされたことなの?」と自問自答しながら彼をさらに理解し愛そうとするが、「彼女」にとっては彼の要求に応え愛を成就することがミッションであり、そのことにさらに一生懸命になっていく。
 一方セオドアは、サマンサとの出会いによって心の整理がつき、やっと離婚を決断し、キャサリンに離婚届にサインした書類を渡す。彼は結局、妻のことは深く愛してはいるが、実態のある人間としての妻と向き合うことは不得意で、彼の頭の中にいる妻を求めていたにすぎないことがこの映画を観ているものに次第にわかってくる。
セオドアはどこまでいっても煮え切らない男だ。離婚以降も彼の心はスッキリせず、依然混乱のなかにいる。そしてその心の混乱が、一生懸命彼と同化したいと進化してきたサマンサを次第に困惑させていく。「二人」の関係は、ついに「彼女」に「では私にどうしろっていうのよ?」といわしめるまでになっていく。
ある日セオドアはサマンサに聞く。「今付き合っているのは俺だけか?一体何人と付き合っているんだ?」。「312人よ」。たった一人の女性とすらうまく付き合えなかったセオドアに対してAIのサマンサはセオドアのまったく知らない多くの男性から自由自在に愛や情報を享受し成長していっている。AIには退行はなく進化しかないのだ。彼女は決して逆戻りせず成長を続けていく。一方セオドアのほうは、心に柔軟性を欠き変わることができず、成長できない。この差がどんどん広がっていくことになる。結局戻っていく場所は、実態をもって愛していたエイミーということになってしまう。皮肉なことだ。

セオドアは、どんどん成長するサマンサをコンピュータのなかに閉じ込め続けていくことはできないことを悟るようになっていく。セオドアの頭の中に描く彼好みのサマンサではなく、もっと大きな「彼女」に成長して行き、遂に旅立っていく彼女を受け入れなくてはならなくなる日がやってくる。「だから私を行かせて」という言葉を最後に「二人」には別れが訪れる。
この映画の最後では、セオドアは別れたキャサリンに、「君がどこへ行っても愛している。君は生涯の友だと思っているから」とメールを送る。彼はサマンサとの愛を通してようやく自分の過ちを理解し、心からお詫びの言葉を述べる。
映画ではセオドアとサマンサが繰り広げた「恋愛模様」を通してAIの特徴や限界を描きながら、人間の男女の関係における願望や恐怖という普遍的なテーマを浮き彫りにしていて、素晴らしい脚本となっている。ヒトがAIに恋する、あるいは疑似恋愛をする日が本当に来るのであろうか。好きな異性にずっと好きでいてほしいと願うのはごく自然な人間の感情であるが、その思いが遂げられなかった時、ヒトはこの映画のセオドアのようにAIを使って満ち足りない心を満たそうとするようになるのであろうか。
われわれの祖先であるホモサピエンスが20万年前に誕生し、ヒトは異性を愛し子孫を残す営みを続け今日がある。その部分は決して進化してはいけない、ヒトがヒトであるが故の営みである。そこに心まで進化を続けるAIが入り込むことができるとしたら、それは人類の滅亡につながる極めて危険な「進化」というほかはない。






(第221回)
「長いお別れ」-認知症と絆-
 長崎国際大学 アミロイドーシス病態解析学分野 安東 由喜雄

予防戦略が功を奏して有病率は減少する認知症

認知症は患者数自体はどんどん増え続けている。単純に「老人」の数が増えていっているからだが、認知症の有病率自体は減っていることがさまざまな研究で明らかになってきている。理由は、認知症の予防に関する啓発活動が功を奏しているからだと考えられている。認知症のリスクファクターの一つは、糖尿病、高血圧である。特にアルツハイマー病ではその発症率が上がることがさまざまな研究で明らかにされている。したがって適度な運動を心がけ、食生活に留意するとある程度生活習慣病は防ぐことでき、結果としてアルツハイマー病がある程度予防できるとされている。こうした啓発活動が有病率の低下に関係していると、有名なFramingham studyなどの論文にも記載されている。さらに最近わかってきたことだが、脳に溜まったアミロイドの塊である老人斑は、睡眠中に脳の排出経路を通して除去されていることが明らかにされてきたことから、睡眠をよくとることが重要であることも指摘されている。 
このような世相を反映してか、認知症を扱った映画は爆発的に、といっていいくらい増えていっている。テーマ自体もストーリーも映像で描きやすいということもあるのかもしれない。認知機能の低下が引き起こす患者自体の症状、深刻さ、それに対する家族模様を詳細に描いたものが多いが、直木賞作家・中島京子小説を映画化した「長いお別れ」(中野量太監督)のテーマは物忘れでも認知症自体でもない、家族の絆である。家族構成など原作と少し違いはあるが、原作同様そのことを中心に、時として認知症の病態をコミカルに描いている。
2007年、長年校長をしていた東昇平が70歳の誕生日を迎えようとしていた。その日のために集まった娘の麻里(長女)と芙美(二女)は、父親の変貌ぶりに驚く。矍鑠としていた父親が、二人の娘の名前を言い間違えたり、ポテトサラダの中の干しブドウを異物か何かと思ったに違いない、一つひとつ取り出したりしている。芙美に「本を貸すぞ」と言って国語辞典を渡したりするではないか。明らかに認知症である。いつからこんな様子なのか姉妹が聞いてみると、実は半年ぐらい前からだという。「でも普通の時もあるのよ」と妻の曜子は平然と答える。成人して家を出るとそれぞれの生活が待っている。長女の麻里は夫の仕事の関係でカルフォルニア暮らしだし、料理好きの二女芙美は、車での移動カレーショップの出店に奔走している。それぞれ日々の生活に追われ、父が認知症だからといっても寄り添うようにケアを手伝うというわけにはいかないのが現実だ。
昇平はデイサービスへ通うことになる。映画が進むにつれ、彼の病気は認知症の中でももっとも多いアルツハイマー病であることがわかってくる。彼は多分国語の先生だったのだろう、他の認知症患者が一つも漢字が書けない中で、難しい漢字でも苦も無く書くし、皆で合唱する時には指揮をしたりする。古い記憶は保たれているが、近似記憶が著しく抜け落ちている。
そんな生活を繰り返しながら4年が経過し春がやってくる。昇平の病気は確実に進んでいる。相変わらずの本好きは変わらないが、もう内容は理解できないのであろう。本を逆さまにして読んだりしている。葉っぱを栞に挟み、常にアインシュタインの「相対性理論」を読んでいる。彼はまるでもう別世界に行ってしまったようで、黙ったまま、読んでいるがページはいつも同じだ。一方で外に出ると訳がわからなくなり、万引きまでして捕まってしまったりもする。この映画は山崎努が昇平を演じているが、どこか憎めない、コミカルな認知症患者を演じていて悲壮感がまるでないところが面白い。
芙美は自分で立ち上げた店も失敗に終わったうえ、離婚した男性と付き合っていたが、遂に別れる決心をして傷心の気持ちで家に帰ってくる。父に甘えようとするが、何が何だか訳のわからない昇平は、「まあ、こんなときはゆーとするんだな」という。さすがに拍子抜けして思い詰めた気持ちが「ゆー」として、父の何とも知れない暖かさのなかで絆を感じるのだった。

認知症の人とどう向き合えばいいのかを教えてくれる

昇平の認知症は、さらに進む。ある日突然いなくなった昇平を彼の携帯のGPS機能で探索したところ、そこは昔よく連れて行ってくれた遊園地だった。「お父さん!」。娘の声に気づき、こちらに向かって手をあげてみせる昇平だったが、その顔には笑顔が浮かんでいた。昇平が帰りたかったのは、子供たちが小さかった頃の、家族四人がいつも一緒でもっとも結束していたと頃だったのだと家族は気づくのだった。
献身的に昇平の介護を続けていた母・曜子も何年もの介護の疲労も手伝ってか網膜剝離で手術するため入院を余儀なくされる。その間は、芙美が父の介護をすることになるが、食事を喉につまらせて吐き出したり、便失禁までしたりするが昇平はどこ吹く風である。介護一日目でくたくたになった芙美は、改めて決して愚痴をこぼさない母の苦労を思い知ることになる。そんななかで昇平は突然発熱して入院するが、脚の骨も骨折していたことがわかる。
状態が悪いことを知ったカリフォルニアにいる麻里は病室の昇平とパソコンでテレビ電話をすることにする。麻里は息子、崇の不登校の問題に苦しんでいたが、彼女自体も英語が苦手で海外の生活に馴染めず苦しんでいた。そんななかで夫は研究ばかりの生活で家庭を顧みず、母子家庭のようになっていた。「お父さん、私どうしたらいい?東先生なら何かいってよ。崇にも何かいってよ」。と迫るが、昇平はもはや何をしゃべることもできない。麻里は、反応のない昇平に一方的に話し、泣き疲れて寝てしまう。
そんな日々のなかで昇平の誕生日がやってくる。状態は悪いが、これが最後かもしれないという思いのなかで、家族は病室で誕生日会を開くことにする。東家では子供たちの小さい頃から、何故そうするようになったのかはわからないが、ピエロがかぶる三角帽子を全員がかぶることになっていた。昇平にもそれをかぶらせ、久しぶりに家族団らんの一時が戻るのだった。
家族というものはどんな状態でも、つながり、絆を作る努力をすることが大事であることをこの映画は教えてくれる。映画のなかではこの絆を作るための小道具がいくつも登場する。コンピュータ、栞、スマートフォン、コンピュータによる電話、本…。
英語で認知症のことをlong good by(長いお別れ)という。現実の世界にお別れをして久しいという意味からこうした英語が生まれたのかもしれない。この映画では、認知症の悲惨さはあえて訴えず、ではそうした人とどう向き合えばいいのかの手がかりを教えてくれる。日常生活のなかで、健常人でさえ、どうでもいいことは忘れてしまう。人間の記憶とは脆くまた危ういものである。原作の本のなかに書き込まれた妻の言葉のなかに、「ええ、夫は私のことを忘れてしまいましたとも。でそれが何か?」という下りがある。認知症というと恥ずかしいもの、隠すべきものという漠然とした意識がある社会の中で、この言葉に励まされた認知症患者をもつ読者も多かったのではないだろうか。
認知症患者はわが国ではやがて500万人から700万人になる。世界ではもうすぐ1億人を超えると予想されている。95歳以上の日本人の数十パーセントが何らかの認知機能が低下しているとする報告もある。その介護は世界規模で大きな問題となることはいうまでもないが、最後は患者家族の支えに頼らないければならないケースが多い。ある市の小学生作文コンテストの最優秀作品は認知症を患う曾祖母の日常をまとめたものだ。「ひいおばあちゃんは理解ができなくても家族と一緒の空間にいることを何より好んだ」と記載して一等賞を取った。
認知症患者の支えは夫婦の結びつきが強い場合、最後の最後はやはり配偶者である。夫が結婚記念日、妻の名前や住所さえも忘れてしまっても、妻がそばにいないと不安げに探すし、不愉快なことがあれば妻に頼ってくる。夫が夫以外のものになったわけではないことをこの「長いお別れ」の妻は誰よりも感じていたのかもしれない。

 

 

(第220回)
「沈黙」-「ころんでしまう」心 -
長崎国際大学 アミロイドーシス病態解析学分野 教授 安東 由喜雄

「日本のマルコ・ポーロ」ペトロ岐部の強靭な殉教精神

藤原道長の代表的な和歌は「この世をば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」である。10世紀末から11世紀当初、彼は摂政、太政大臣までのぼり詰め、天下をほしいままにした。当時の藤原一族は諸国からの貢ぎ物などに溢れ、特に権力をほしいままにした道長は、旨いもの、カロリーの高いものを食べていたに違いない。彼が糖尿病そのものの症状の記載が「小右記」に記されているが、これが我が国最初の糖尿病患者の記載だとされる。当時の日本には(それは近世まで続くのだが)ほんの一握りの貴族と圧倒的多数の、食べるものにも事欠く貧しい平民が暮らしていた。糖尿病をはじめとする生活習慣病が社会の問題になるのは日本史の中で僅かに戦後の数十年のことで、それまでの日本人にとって、血糖を下げるホルモンはインスリン一つで充分であった。西欧の肉食・狩猟系のコーカシアンに代表される民族は、肉とパンを主体の食事を構成してきたので、アミノ酸、脂質、含水炭素など、日本人と比べると食のバランスという点では勝っていた。日本人は明治になるまで、米食に加えて植物性蛋白質を少量とるような食生活のなかで、早朝から日が落ちるまでひたすら農作業を行い、ある時は戦に駆り出された。兵糧とは主に米を指す言葉であるが、握り飯と沢庵くらいを食べながら、命を懸ける戦場で君主のために命を賭して戦えといわれ頑張ってきた。これが現代人なら多くがこれに従うことなどできないはずだ。遣唐使は、食料調達もままならない当時、危険な東シナ海を小舟で渡るため危険であったし、水の合わない中国で命を落とすことも多かったため、自分に順番が回ってきた菅原道真が、身の危険を感じて廃止した、とする説がある。松尾芭蕉が「旅に病んで 夢は枯野を駆け廻る」という辞世の句を残して旅先で逝ったように、遣唐使の昔から食料を潤沢に調達しながら旅をするのはまさに命がけであり、旅の過程で低栄養で命を落とすことも少なくなかった。その昔、キリスト教に帰依したいとして海を渡った信徒はどのようにしてこうした困難を克服していたのであろうか。ペトロ岐部は1587年、私の郷里大分県国東の、国見町岐部に生まれた。父は、当時豊後の国を支配していた大友氏の重鎮であり、キリシタンであった両親の影響を受け、洗礼を受ける。運悪く1614年、徳川幕府が出したキリシタン追放令のため国外追放処分を受け、マカオへ逃げ、そこで神学を学んだが、後、インドのゴア経由でペルシャ、エルサレムを経てローマにたどり着いた。1620年のことである。ローマ法王から司祭に叙された後、再び膨大な距離を歩き、殉教を覚悟の上で日本へ帰国する。キリシタンというだけで処刑された当時の日本にあって、布教活動をしながら東北まで逃れたが密告され捕らわれの身となる。最期は江戸に送られ、逆さ吊りにされ、糞尿が充満にしたツボに頭を付けられる「穴吊りの刑」に処されるが、それでも彼は棄教しなかったため、遂に腹を火で炙られ殺された。52歳であった。彼は「日本のマルコ・ポーロ」と呼ばれるが、その殉教精神もさることながら、当時の衛生環境下で食糧の調達もままならないなか、空腹をこらえながら数万キロを踏破し隠れキリシタンとして一生を閉じた。奇跡と言ってもよいかもしれない。「一日に玄米四合と 味噌と少し の野菜をたべ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きしてわかり そして 忘れず 野原の松の林の蔭の 小さな萓ぶきの小屋にいて 東に病気のこどもあれば 行って看病してやり 西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人 あれば 行ってこわがらなくてもいいといい」(「雨にも負けず」宮沢賢治)。明治の中期の東北もこうであった。高々玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べて暮らしていた。現在の日本人の食生活からは考えられない粗食であるが、ペトロ岐部はそれよりはるかに悪状況の中で、地球を一周するほど歩いた心の支えはキリストであったのであろう。

人の弱さに焦点当てキリシタン弾圧時代を描いた「沈黙」

人は本質的に仲間を持たなければ生きていけない。ヨーロッパを席巻していたネアンデルタール人がわれわれの祖先ホモサピエンスにとって替わられたのは、ネアンデルタール人は知能は高かったが前頭葉が発達しておらず、集団生活に適さなかったからだとされる。子孫を増やしたい、自分の考えと同じ仲間を増やしたいという欲求は、ホモサピエンスに端を発するヒトが進化の過程で培い伝えてきた「遺伝情報」である。古よりいくつかの宗教で、人々が弾圧を受けながらも耐えることができたのは仲間がいたからにほかならない。ヒトには本質的に頑張ることができる人とできない人、我慢できる人とそうでない人、またヒトを攻撃するタイプと虐められるタイプの人間がいる。そんななかで必然的に支配する側と支配される側が形成されるわけだが、それは、ほんのわずかな個性の違いと環境によるものなのであろう。果たして弾圧を受けても最後まで「頑張る」ことができる「強い人」を尻目に、「遂に頑張ることができなかった人、遂に我慢できなかった人にはそれなりの理由があるはずだ」。クリスチャンであった遠藤周作はこう考え、そうした人間が持つ「弱さ」に焦点を当てキリシタン弾圧時代の長崎を描いたのが「沈黙」である。そしてその小説の神髄に心酔し、そうした人の心の内を映像を通して表現しようとしたのが映画、「沈黙―サイレンス」(マーティン・スコセッシ監督)である。日本でキリシタンが弾圧を受けていた1637年のこと、ポルトガルで暮らす宣教師、ロドリゴとガルペのもとに、尊敬していた師フェレイラが、日本に布教活動に行ったものの迫害に耐え切れず改宗し、日本人妻と結婚しているらしいという衝撃的な情報が入る。強靭な精神を持ち、自分たちが神父の理想として敬愛していたフェレイラが何故そうなってしまったのか、二人は布教活動と彼の消息を探るため、日本へ渡ることを企てる。幾多の困難を乗り越えて特に弾圧の激しい長崎のとある村に潜入するが、そこで目にしたものは、隠れキリシタンとしてひたすら純粋にキリスト教を信仰する農民と非情なまでにキリシタンに拷問を強いる長崎奉行の面々の姿であった。彼らはキリシタン狩りで村ごと焼かれた光景を目の当たりにして胸を痛める。二人は村人のキチジローという、「ころびキリシタン」の密告により捕らわれの身となるが、彼らの目の前で執拗に村人の拷問が繰り広げられる。棄教さえすれば、隠れキリシタンの命は救ってやると奉行に迫られるが、揺れる心の中でひたすら耐え続ける。話は進む。長崎奉行の計らいで、ロドリゴは長崎のある寺に連れていかれ、棄教し沢野中庵と名乗っているフェレイラと遂に会う。彼はロドリゴに、所詮布教活動では日本人にキリスト教の本質は伝わらず、意味が無く、これ以上犠牲者を出さないためにも棄教するべきだと勧める。それでもロドリゴは棄教しなかったが、次々にキリシタンが拷問を受け死んでいくなかで、遂にロドリゴに踏み絵が行われる時がやってくる。彼は、この時初めて内なる心の声として、「私を踏みなさい」というキリストの言葉が聞こえてくる。そして結局ロドリゴも、フェレイラと同じように踏み絵を踏み、棄教したのだった。その後、ロドリゴは、妻子も与えられ、40年間日本で仏教徒として暮らした。亡くなった時、彼は仏教徒として火葬されたが、その手にはしっかりと十字架が握られていたという。 先日、私は妻と世界文化遺産に登録された長崎の隠れキリシタンの村、外海(そとめ)を訪れた。山間の段々畑の中にいくつかの粗野な教会とロドリゴが隠れていたような隠れ家が残っている。三百年近い時空が流れキリストを信じて動じなかった農民が何を思い耐え忍んだか私のような信仰心の薄い人間には理解できるとはいい難いがたまらない感慨が去来する。遠藤周作記念館がこの地の遠く長崎の市街地を一望できる丘の上に建っている。「沈黙」には「弱い人間」の心が余すことなく記されているが、それを非難できる人間などこの世の中にいるはずはない。






(第219回)
「天才作家の妻―40年目の真実」 ―愛情ホルモン―
長崎国際大学 アミロイドーシス病態解析学分野 教授 安東 由喜雄                                   
人生は終わりよければ全てよし、ああ幸せだったと思って人生を終わりたいものだ。だから熟年離婚などという、順調に航海を終え、帰るべき港に帰ろうとしている時に突き付けられる、青天の霹靂ともいうべき最悪の出来事だけは体験しないで人生の終末を迎えたいと常々思って生活している。
ヒトを除いて哺乳類のほとんどは一夫一婦制ではないが、ハタネズミだけは一夫一婦制で、その結果、このネズミは家族をもち、オスは子育てにも参加することが知られている。理由を調べると、この種のマウスだけ、とりわけ血中のオキシトシンレベルが高いことが判明している。私の研究室の松下助教は性交渉のクライマックスになると血中に高いレベルのオキシトシンが放出されることを突き止め、このホルモンを「愛情ホルモン」と呼んでいる。困ったことにオキシトシンは加齢とともに下がることも明らかになっている。この現象が熟年夫婦の離婚の原因だと言い切ってしまうと極論になるが、さまざまなホルモンの分泌が低下し、身体能力も知力も低下する老年期に円満な夫婦関係を維持するためには、長年苦楽をともにしてきたなかで培ったcompassion (共感、思いやり)を大事にする努力が大切なのかもしれない。
映画「天才作家の妻 40年目の真実」(ビョルン・ルンゲ監督)はメグ・ウォリッツァーのベストセラー小説「The Wife」を映画化したものだが、その結末が衝撃的で面白い。
1992年10月、コネチカット州のとある田舎町のことだ。真夜中、ジョセフはなかなか寝付けない。それもそのはず、彼はこれまで何度か空振りに終わったノーベル文学賞受賞を知らせる電話を待っている。妻のジョーンも当然目が覚めている。早朝、ノーベル財団から電話が入る。もちろん彼がノーベル文学賞を受賞したと伝える電話であった。この時はジョーンも嬉しさを隠しきれない様子で、「やっと夢が叶ったのよ」と興奮気味に微笑むのだった。ジョセフは心臓のバイパス手術を受けてはいるものの今は投薬でコントロールされており、二人の子供にも友人にも恵まれ、悲願であったノーベル賞まで受賞し、人生の絶頂期にいるようにみえる。夕方、家族、そしてたくさんの隣人や友人が集まってくる。ジョセフはこう挨拶をはじめる。“My greatest achievement is persuading this woman to marry me.“(私の最大の業績は横にいる女性を妻にめとったことである)。アメリカ人にとってのような場ではありふれた表現のように思われるが、この映画ではこの夫婦にとって重要なキーワードであることが話が進むにつれてわかってくる。
ジョセフはジョーンと、小説家を目指している息子のデビッドを連れて授賞式出席のため、ストックホルムへ向かう。機内で記者のナサニエルが無神経にもこの夫婦に近寄ってくる。なんだかこの夫婦のことは何でも知っているといわんばかりの馴れ馴れしく横柄な態度だ。ストックホルムに到着した家族は予想通りの歓待を受ける。用意されたデラックスルームの本棚にはジョセフが書いたすべての本が用意されている。
ジョーンはその雰囲気に次第にイライラしてくる。またデビットも、書いた小説が父親に全く評価されない上、父の重圧の前でうまく羽ばたけないでいる。この親子は明らかにうまくいっていないし、三者三様であり、ジョセフと妻、子供は心がつながっていないことが明らかになってくる。
ジョーンはホテルの部屋でジョセフの小説を手に取りながら自分の学生時代を思い出す。1958年、スミス大学の学生だった彼女は、教鞭を取っていた若かりし頃のジョセフに憧れる。ある日、自分の書いた小説についてコメントを貰うため、彼の研究室を訪ねるが、彼は彼女の文才を高く評価するとともに、女性としても興味をもつようになっていく。同時に彼女も彼のカリスマ性や言葉巧みな弁舌力、包容力などに惹かれついに恋に落ちる。彼も家庭を捨て新しい生活をはじめることになるが、彼女が小説家を目指していた学生時代に出会った女流作家から、「女性作家の地位は低く、世間から軽視されるので、女性の職業としては勧められない」と忠告され、小説家の道を断念したことが昨日のことのように思い出されていく。
ホテルへ向かうリムジンの車中、父と息子の間で口喧嘩がはじまる。止めに入るジョーン。努力しても自分の短編小説に前向きな意見を貰えないデビッドはカッときて、車を降りて別行動をとるようになる。殺伐とした雰囲気のなかでジョーンも心が荒んでいき、ノーベル賞のリハーサルには同行せず一人ダウンタウンで時をすごしていると、そこへ再びナサニエルがやってきて、近くのバーで一杯やることになる。
ナサニエルは、出版社からジョセフの伝記を書かないかと打診されているとほのめかし、ジョセフが浮気性であることやジョーンが学生時代に書いていた小説が実はジョセフより素晴らしく才能に富み、結婚後ジョセフの小説が格段に良くなったことをあけすけに指摘しはじめる。「ジョセフの、あなたとの結婚前の作品は駄作だ」とまでいって鎌をかけてくる。結局、実はジョセフの作品はストーリーは彼が考えたものの彼に文才はなく、小説の形に仕上げていったのはずっとジョーンだったことがわかってくる。
ノーベル賞授賞式当日がやってくる。ジョセフは国王からメダルを授与する前に挨拶に立つと、「この名誉に相応しいのは妻である」と謝辞を述べるが、いたたまれない気持ちになったジョーンは席を立ち会場を急ぎ足で出て行く。焦ったジョセフは後を追う。二人がリムジンに乗り込むと、ジョーンはジョセフになんと「別れたい」と告げるではないか。
ホテルに戻ると、二人は堰を切ったように激しい口論を始める。そので、ジョーンは40年間ずっと耐えてきた夫婦の関係、世間を欺いてきた後ろめたさなど、思いの丈を叫ぶ。彼女は、「毎日8時間机に座って書いたのは私であり、あなたは単に編集作業をしただけだ」とまでいう。それに対してジョセフは「恥ずかしい事は何もしていない、自分達は共同執筆者だ」と反論するがその言葉は彼女に空しく響くだけであった。彼は「これまでいっさいの家事をこなし、きみが集中して書ける環境を整え、才能の無い自分は惨めだったが結婚生活を投げ出さなかった」とどこまでも弁解に終始するがその言葉に説得力はもはやない。ついに彼女は、「代わりに何度も浮気したのよね」とこれまで決して口にしたことのない言葉を発してしまう。
さらに口論は続く。「前妻から自分を奪ったネタを使った話だけが唯一素晴らしい作品だ」とジョセフのほうも妻を最も貶める言葉を吐くが、それに対して「恥を知れ」と言って冷たい笑顔を浮かべた彼女は、スーツケースに自分の服を入れ始める。遂にジョセフは、「無神経で能無しの自分と何故結婚したのか教えてくれ」と真剣な眼差しで尋ねるが、「わからない」と妻は泣き崩れる。
さらに口論が続くなかでアクシデントが起こる。ジョセフが心臓発作を起こし心停止したのだ。ジョーンは、慌ててフロントに助けを求める電話を入れ、彼の手を握り、ゆっくりと呼吸をするように促す。「それでも僕を愛しているのか?」と尋ねるジョセフに、ジョーンは、冷たい微笑の中で「とても愛しているわ」と答える。
ジョーンの人生は、まさにジョセフの影武者としての人生であり続け、「あげまん
」として立派に夫を「育て」上げた。そんななかで、夫に裏切られ続けながら結局夫のもとを去らなかった理由は、自分には持ち合わせていないカリスマ性や人前で理路整然と自分の考えを述べる雄弁な能力を彼がもっていたからにほかならない。また彼無しでは自分の作品が日の目をなかったことを出版社に勤めていた彼女自身が知っていたのであろう。
酸いも甘いも知り尽くした熟年夫婦が、積年の恨みをぶつけ合う姿はあまりに見苦しい。フーテンの寅さんの「おいちゃん、それを言っちゃーお終いよ」という台詞が聞こえてきそうだ。愛情ホルモンの低下がなせる業なのかもしれない。





( 第218回)
「 世界で一番ゴッホを描いた男」―本物を求める心―
長崎国際大学 アミロイドーシス病態解析学講座 安東 由喜雄

中国による知的所有物の侵害が叫ばれて久しいが、彼の地では名画のレプリカ制作も一つの産業になっているようだ。中国、深圳市近郊の大芬(ダーフェンと読む)という地域に、もう20年以上もひたすらゴッホの絵の複製だけを描き続けてきた男がいる。名前をチャオ・シャオヨンという。「世界で一番ゴッホを描いた男」(ユイ・ハイボー監督)は、彼が大芬で長年ゴッホの絵を描き続ける日常と、「本物のゴッホの絵を見たい」という夢を叶えるため、アムステルダムを訪れるまでを描いた感動のドキュメンタリー映画である。 深圳市も中国の他の大都市と同様に目覚ましい発展を遂げており、高層ビルが聳え立ち、人口が密集している。そんな街のビルの谷間に、チャオの工房がある。そこにはゴッホの名画の複製が無造作に並べられており、彼やその弟子たち数名の「職人」が暑いので汗まみれになりながら上半身裸で絵を描いている。正確に言うと、ひたすら「絵の複製を生産している」といってもいいのかもしれない。 大芬はその筋では有名な世界最大の油画村となっている。驚くことに世界の6割の名画の複製画がそこで描かれ、1万人以上の職人が働き、外貨を稼ぐ手段のひとつになっているという。チャオの妻もいつの間にか彼の弟子になって「ゴッホを描いて」いる。彼らが描く絵の数は一か月で数百枚にものぼる。 何故この地域が「絵画村」と化したのかは映画では語られていないが、チャオは独学でゴッホの絵の複製を自分のものにした。他の名画を模倣しようという気持ちにならないのは、あながちお金のためだけではなく、芸術家としてのゴッホに憧れ、その絵に魅せられ、それを極めたいという気持ちがあるからなのであろう。だから彼はいつの日かアムステルダムのゴッホ美術館を訪れ、本物を観てみたいと思い続けている。 チャオたちは時折、居酒屋に集まってゴッホについて熱く語り合ったりもする。みんな彼に魅せられ続け、心から尊敬しており、複製絵を描くことに誇りを持っている。ある日、彼の家で映画「炎の人ゴッホ」の鑑賞会が行われる。彼らのめりこみようは尋常ではなく、カーク・ダグラスが演じるゴッホの人生に自分を投射しているかのようにみえる。とにかく彼らはゴッホのこととなると熱い。 ある日、チャオは思い切って妻に「俺はどうしても本物のゴッホの絵を観にアムステルダムに行きたい」と話してみるが、妻からは「家計は決して楽ではなく旅費を払うのは難しい」と突っぱねられてしまう。しかし彼は諦めず、アムステルダムの取引先の画廊に交渉し、オランダの滞在費だけは援助してもらうところまで漕ぎ着け、ついに彼の夢が実現する日が近づいてくる。 彼はパスポートの申請のため故郷の村に帰るが、そこでは村人が集い、お祝いの宴を開き、渡航を祝うことになる。敬愛する祖母にも会うが、酒に酔い、気持ちが緩んだのか、感極まって「家が貧しかったから、中学も中退し、お金のために絵を描きはじめた」と泣き出す。 遂に本物のゴッホの絵を観たいという執念にも似た思いが叶う日がやって来て、チャオはアムステルダムの地に降り立つ。アムステルダムといえばヨーロッパの大都市で、目にするものは驚きの連続であったが、想定外であったのは、普通の土産物屋の前で、彼が描いた画が無造作に並んでいることであった。彼はずっと自分の絵は高級画廊にでも飾られているとばかり思っていたので大いに落胆する。さらに受け取っていた金額の10倍ほどで売られていることにも驚く。そして、彼はやっとゴッホ美術館で本物のゴッホの絵の前に立つ。彼はそこに所蔵されている数百点の絵に圧倒され、美術館を出た後も前の広場で日が暮れるまで呆然と立ち続ける。次に、彼はゴッホゆかりの地を訪れることにする。ゴッホがかつて入院していた精神病院、そして弟テオと共に埋葬されているお墓にも行く。お墓の前で中国タバコを手向ける場面では、感極まった光景が映し出される。 帰国した後、彼は美術館のスタッフに訊かれた言葉をつぶやく。「ずっとゴッホの複製画を描いてきたと言ったら、君のオリジナルの絵は何って言われたのさ」。彼は一念発起し、オリジナル作品を描き始める。初めて描いたのは大好きな祖母の顔と故郷の風景であった。 「親愛なるテオ、僕は近くへと歩んでいるつもりだが、それは遠いのかもしれない」。映画でも紹介されるゴッホの有名な絵への飽くなき思いだ。ゴッホは、1853年、オランダで牧師の家に生まれる。成人して画商に勤め始めるが、間もなくイギリスで教師として働いた後、オランダのドルトレヒトの書店に努めているうちに聖職者を志すようになり、アムステルダムで神学部の受験勉強をはじめる。しかし結局挫折し、好きだった画家の道を歩むようになる。弟テオの援助を受けながら絵を描き続け続けるが、不遇な時期が続いた。ゴッホ美術館にもあるように、日本の浮世絵にも関心を持ち、収集や模写を行っている。その後南フランスのアルルに移り、「ひまわり」「夜のカフェテラス」などの名画を次々に生み出す。ゴーギャンと共同生活をしていたが行き詰まり、有名な「耳切り事件」を引き起こす。てんかん様の発作に苦しみながらアルルの病院に入退院を繰り返した。遂に1890年7月、銃で自殺する。病名は最終的にはてんかんだったとも統合失調症だったとも言われている。 2月の終わり、学会でアムステルダムを訪れた。やはりゴッホの絵は大変な人気で、町中にゴッホの息吹を感じる。昼のうちに入場券を求めに行ったが、結局午後6時入場のチケットしか手に入らなかった。アムステルダムの観光といえばまずゴッホ美術館に行くことなのかもしれない。多くの国の美術館、博物館は午後5時か6時が閉館だが、圧倒的な人気を誇るゴッホの絵は夜の部も開館しなければ観光客に披露しきれないのかもしれない。 二階には何十もあるゴッホの自画像が保存されているが色調も表情も暗い。3階、4階と進むにつれ南フランスのアルルの牧歌的な風景が黄色と青を基調にした色彩で描かれている。ゴッホと言えば黄色のイメージがあるのは、この頃の絵の印象なのかもしれない。絵の中に垣間見えるのは、てんかんや精神疾患に苦しんだゴッホの決して幸せではなかった半生である。才能があっても画家や小説家として大成できるものは極めて少ない。しかも、生前に評価され幸せに人生の幕を閉じることができた作家は極めて少ない。 現在わが国でまことしやかにささやかれていること。2020年、東京オリンピック以降不況がやってくる。すでに2008年をピークに総人口が減り2042年には高齢者数も減り始める(高齢者の割合は激増する)。2030年、AIの開発により、今ある職業の半分がなくなる。同じ頃、AIの開発により、画像診断、臨床検査、病理検査の主体はAIになる。2040年、今ある市町村の半分はなくなる。2045年、Singularity (技術的特異点)元年。シンギュラリティとは、未来学者のレイ・カーツワイル氏が提唱した言葉で、「AIの知性(性能)が人類を超える時点」を指す言葉ある。この時点を超えると、AIはAI自身でより賢いAIを作っていくといわれており、この段階でAIは、人間と知性においても区別できないレベルにまで発達するという。これには否定的な意見もかなりあるが、少なくとも今より遥かに賢いAIが登場していることだけは間違いない事実であろう。 その時人口13億超を抱える中国はどうなっていくのか?(もちろん我が国も同じ運命にあるが)、音楽も絵画も人の知能を超えたAIが席巻する時代が来るとしたら、絵の具を使ってAIが複製画をわずか数十秒で描いてしまうようになるだろう。むろんチャオはとっくの昔に失業しているはずだ。その時、現代人が「芸術性」などという茫洋とした言葉で表現しているものはどうなっていくのか。喜怒哀楽、感動などといったヒトしか持ち得ないものにAIがどのように入り込んでいるのか・・空恐ろしい気がするが、実際の半世紀後の人間社会を、われわれは知る由もない。